広島高等裁判所 昭和62年(う)302号 判決 1988年12月13日
本店の所在地
山口県下関市細江町一丁目一番七号
法人の名称
株式会社 福本電機
(旧商号 株式会社 福本電機商会)
代表者の住所
山口県下関市竹崎町二丁目二番八号
代表者の氏名
福本英夫
国籍
韓国(忠清北道永同郡龍山面九村里三五四番地)
住居
山口県下関市山の田中央町五番六号
会社役員
福本定夫こと李定夫
一九四二年一二月二日生
右の両名に対する各法人税法違反被告事件について、昭和六二年一一月一三日山口地方裁判所が言い渡した判決に対し、原審弁護人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は検察官上野富司出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人伊藤卓蔵、同沖田哲義、同権藤世寧、同三好晃一連名作成の控訴趣意書及び同補充書記載のとおりであり、これらに対する答弁は検察官加藤圭一作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
これに対する当裁判社の判断は次のとおりである。
論旨はいずれも要するに原判決の量刑不当を主張し、とりわけ被告人福本定夫こと李定夫に対してその刑の執行猶予を求めるものである。
そこで所論に鑑み記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、家庭用電気器具、時計、カメラ等の卸販売業を営む被告会社(当時の商号は株式会社福本電機商会)の代表取締役であった被告人福本定夫こと李定夫において、右会社の業務に関し法人税を免れようと企て、売上の一部を除外し、それによって得た現金を仮名及び無記名定期預金にするなどの方法により所得を秘匿したうえ、原判示第一ないし第三のとおり、右会社の昭和五七年から同五九年にかけての各事業年度の法人税につき、いずれも所轄の下関税務署長に対してその都度内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって昭和五七事業年度については五三〇一万九五〇〇円の、同五八事業年度については六九九万七九〇〇円の、同五九事業年度については三五七万二四〇〇の各法人税額を免れたという事案であるところ、被告人李は、昭和五五年三月二二日山口地方裁判所で、本件被告会社の前身である有限会社福本電機商会の代表者として同会社の業務に関し、売上及びたな卸商品の一部除外、架空仕入れなどの方法により、昭和五一年及び同五二年の両事業年度における法人税額合計一億二六四二万円余を免れ、これによって右会社は罰金三〇〇〇万円に、被告人李は懲役一年六月・三年間刑執行猶予にそれぞれ処せられ、深刻な反省と責任の自覚を求められたにもかかわらず、被告人李は右執行猶予期間がいまだ経過しないうちに原判示第一及び第二の各犯行に及んでいるのであって、本件各犯行内容は右前科のそれに比べていずれもその規模が若干小さいとはいえ、そのほ脱額の合計が六三五八万円余とかなりの高額であること、その手段も、他の商品に比べて単価が高く、かつ取引数量の多い時計の売上げのうち、現金取引先だけについてその売上単価を圧縮して売上除外を行うという単純ではあるがそれだけに一面では比較的発覚し難い方法を選ぶなど、その犯情は決して軽視し難いのであって、税負担の不公平感の解消が大多数の納税者の声とされ、税制改革に対する論義が重大な関心を集めている近時の社会情勢に鑑みるとき、本件のような長期間の、しかも再度にわたる大口脱税事犯の反社会性は大きいものがあり、その実行行為者である被告人李に対してその刑事責任を厳しく追及されるのもやむを得ないというべきである。
所論は、本件各犯行の動機において斟酌すべき事情として、経済不況に伴う売上の激減及び在庫商品の評価減の損金算入につき税務当局の不当な措置によりこれが認められなかったために決算期における利益計上額が実質上過大となってしまい、これらが常に経営を圧迫して危機的状況を来したため、企業防衛の必要上やむなく本件行為によって企業内蓄積を図ったものである旨主張するのであるが、景気の好、不況によって企業の業績や収益が影響を受けるのはひとり被告会社のみに限るものではなく、また在庫商品の評価減の損金算入の可否ないし当否については、若し被告会社の損金算入の主張を認めないでした税務署長の処分が違法ないし不当であるとするならば別途これに対する異議申立てその他法律に定められた不服申立ての方法が可能であって、これによることなく法人税の脱税という違法な手段によって利益の内部蓄積ないし損失填補を図ることが許されないことはいうまでもなく、所論指摘のような事情を過大に評価することはできない。よって右所論はこれを採用することができない。
また所論は、本件ほ脱所得額の確定にあたっては、売上除外した金額を公表された納品書や売上帳の記載と被告人の供述により推定し、これに基づいて算出する方法がとられているところ、その内容を精査すると、同一機種の時計につき、関連会社である福本商事に対する売値と他の取引先に対する売値とが同一価格とされている場合が散見されるが、右福本商事は被告人李の実弟が経営しているので他の取引先に対する販売価格より特に一〇パーセント位安く販売していたものである。しかるに国税当局は右値引きを認めず、検察当局もこれを踏襲して右値引額を売上除外額と誤認したまま起訴し、原判決もこの点を右同様に誤認しているのであって、これを起訴された昭和五七年度から同五九年度の三期分について合算すると一〇〇〇万円を超えるのではないかと考えられが、被告人としてはあえて右の点に固執せず本件調査段階から所得額確定等の作業に協力してきたので、これを被告人の反省の現れとして斟酌されたいとして、被告人作成にかかる昭和六一年四月一一日付上申書添付の「上様売上除外金額明細表」(以下明細表という)中の記載例を一、二指摘している。
そこでこの点について検討すると、確かに右明細表の記載の中には福本商事につき右指摘のような事例が認められる(もっとも控訴趣意書二七頁後段で指摘する明細表No.2とNo.4の対照事例は型番の表示が違うので弁護人の誤解と思われる)。そして昭和五七、五八年当時のこれら売上除外対象となった取引については、現金が入金され次第真実の単価等を記載したメモ類はすべて廃棄されていたので、本件摘発時点では既に直接右単価を確定すべき資料はなかったため所論指摘のような疑問も起り得ない訳ではないが、関係証拠によると、福本商事への卸売については値引きをすることもあったが、その場合も値引幅は必らずしも一定していなかったこと(福本光雄こと李光雄の検面調書・記録二三一三丁以下)、被告人李は、他の取引先についても二パーセントから一〇パーセントの値引きをしていたことを認める一方、当初は福本商事への卸売分についてはすべて値引きであって売上除外の対象には該らない旨述べていたが(同人の大蔵事務官に対する質問てん末書・検乙九号・二五四三丁、二五四四丁)、後にこれを訂正して、単価圧縮による売上除外をしているものもあることを認めるに至っていること(検乙一二号・二五六五丁)、昭和五九年一〇月頃から本件摘発のあった昭和六〇年秋頃までの売上除外については、販売先からの現金支払いの遅れが出てきたため、被告人李は日計表に真実の売上額を記載して残しており、この記載と前記明細表の記載あるいは公表上の請求書綴等を対照すると、本件摘発前約一年間の単価圧縮額とそれによる売上除外額を正確に知ることができるところ、これらの中に現れている福本商事関係の売上額については、他の取引先に対すると同様の単価圧縮をし、若干の値引きをしてもなお相当多額の売上除外が行われていること(被告人李の検面調書・検乙二〇号、押収してある請求書等綴一一綴及びメモ一綴<当庁昭和六三年押第八号の四及び五>)、以上のような事実を認めることができ、これらの事実に照らすと、福本商事に対する売上分に関する売上除外額ないしその比率が他の取引先と比較して常に格段の差があったものとは認め難く、従って本件で問題となる売上除外金額の全体について、所論が指摘するほどの大きな誤差が生じるとは考え難いことに加えて、本件のほ脱所得金額の確定については、右売上除外金額の合計そのものではなく、これを一応の基礎として、これの簿外蓄積ないし運用(この中には福本商事の経営者である福本光雄名義の預金や有価証券等が含まれる)を追跡調査して各科目ごとにその増減を明確にし、未払事業税等を加味して算定したものであること等を考え併せると、所論指摘のような点を全く無視することはできないにしても、これが直ちに本件ほ脱所得額の確定に影響を及ぼすべきものとは考えられず(従ってこの点に関して原判決にはその判決に影響を及ぼすような事実誤認はない)、従ってまた右の点を量刑上過大に評価することは相当でないというべきである。よってこの点に関する所論も採用の限りではない。
以上のほか、本件における売上除外率や全体としてのほ脱率が比較的低いこと、被告人李の反省態度とその現れとしての法律扶助協会(山口県支部)に対する金一五〇〇万円の贖罪寄附、被告会社がその提携先会社の不誠実と倒産により重大な経営危機に直面していること、被告人李が被告会社の維持、再建のためその代表権を実父に譲り、公認会計士を監査役に迎えるなど経営、経理体制の改善に努力していること等所論指摘の各事情を十分斟酌しても、被告会社を罰金一五〇〇万円(求刑同一八〇〇万円)に、被告人李を懲役一〇月(求刑同一年六月)に各処した原判決の量刑が重きに過ぎて不当であるとは認められない。論旨はいずれも理由ぎない。
(なお、職権により調査するのに、原判決の法令の適用欄には、被告会社につき「その情状により同法一五九条二項所定の罰金額で処断することとし」として、原判示第三の罪についても法人税法一五九条二項を適用したかのような記載部分があるが、原判示第三の罪にかかるほ脱税額が三五七万二四〇〇円であって右法条に定める五〇〇万円を超えないことは原判文上明白であることや、原判示第一及び同第二の各罪におけるほ脱税額の合計金額が被告会社に対して言渡された罰金額の四倍以上にのぼること等に徴すると、単に原判示第三の罪を除く旨の記載を遺脱したのにすぎないものと認められ、右遺脱の由をもって原判決を破棄しない。)
よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件各控訴を棄却することとして主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上保之助 裁判官 藤戸憲二 裁判官 平弘行)
○控訴趣意書
法人税法違反 株式会社福本電機商会 外一名
右被告人らに対する頭書被告事件につき、昭和六二年一一月一三日、山口地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の趣意は、左記のとおりである。
昭和六三年二月二九日
弁護人 伊藤卓蔵
同 沖田哲義
同 権藤世寧
同 三好晃一
広島高等裁判所刑事部 御中
記
原判決は、被告人両名に対する法人税法違反の各公訴事実を有罪とし、被告会社株式会社福本電機商会(以下被告会社という)に対し、罰金一、五〇〇〇万円、被告人福本定夫(以下被告人という)に対し、懲役一〇月の各刑を言い渡したが、右各刑、とりわけ被告人を懲役一〇月の実刑に処したのは、以下に述べる理由により、その量刑が著しく重く不当であり、到底破棄を免れないものである。
第一、犯行の動機について
被告人が本件各犯行に及んだことについては、以下に述べる諸事情が存したところで、被告人の本件各犯行は、個人的利欲ないし奢侈・贅沢のための犯行ではなく、中小企業経営者である被告人が、経営危機感から企業防衛を第一義に考えた余りの犯行であるが、原判決は、これらの種種の背景事情を全く考慮していないのであって、情状に関する事実について誤認し、ひいては、量刑を誤っている。
一、被告会社の売上激減
被告人の本件各犯行の遠因は、経済不況による商品売上高の急激な減少傾向という商況の変化にあったものである。
被告会社の商品売上高は、昭和五六年以降減少の傾向が顕著であり、このことは、本件査察調査の結果にも現われているところである。
すなわち、本件査察調査の結果によれば、被告会社の商品売上高は、
昭和五七年一二月期において 九四億二、六四七万六、〇三〇円
同 五八年一二月期において 五四億八、九六二万四、一四七円
同 五九年一二月期において 三六億二、七三六万五、九二六円
であって(記録第二分冊、記録第一九四号・売上高調査書)、急激な減少傾向を示しているのであるが、右金額から明らかなように、被告会社は、昭和五七年から同五八年にかけて約四二パーセントの売上減、同五八年から同五九年にかけて約三四パーセントの売上減に見舞われていたのである。被告会社のような小規模企業にとって、右のような売上の大幅な恒常的減少は、企業存続上危機的な状況であったものであり、多数の従業員を抱え、事業継続に専心していた被告人が、重大な危機感を持っていたことは、十分に理解しうるところである。
原判決は、このような経営環境の悪化に対する考慮を欠いていると言わざるを得ないが、被告人が本件各犯行に及んだについては、まず何よりも、右の述べた売上減少による経営悪化を背景とする危機感があったことを直視する必要があるのである。
なお、被告会社は、第一審判決後の現在においても、売上の著しい改善を図ることができずにおり、経営基盤が危機に瀕している状況にあるが、原判決が、この事情を酌量しないで処断したことは、角を矯めて牛を殺すものというべきである。
被告人がこのような商況に危機感を抱き、企業防衛のためを考えたことは、企業人としては、むしろ当然のことであって、右事情を十二分に斟酌願いたいところである。
二、被告会社の決算・納税期における在庫商品の実態と税務上の評価との乖離
(一) 被告会社は、毎年の決算期において、多額の在庫商品を抱えていたが(二二ないし二五丁)、右取扱商品の大半が腕時計という、いわゆるはやり廃りのある商品であるため、仕入後一年も経過すれば(とりわけ、その間に新製品が発売されれば尚更)、市上価格が暴落し、商品としての価値を失うことになる。さればといって、少量ずつ仕入れることにしたのでは、仕入価格が高くなり、販売利潤も少なくなり、もともと大量仕入れ・低価販売で今日の地歩を築いてきた商法を放棄しなくてはならないというヂレンマに悩まされてきたのである。
このことは、現時点においても同様であって、被告会社にとって在庫商品の陳腐化は、宿命的とも言える経営上のウィークポイントであり、隘路であるので、被告人は在庫商品を最小限に止めるべく努力を払ってきているものの、具体的な打開策を見出せないまま経過してきたのが実情である。さらに、このような在庫商品に対する税務当局の査定に際しては、右のような実態を反映しない在庫商品に対する評価がなされるため、決算期における利益計上額が実質的に過大となってしまうことに、常に悩まされてきたのである(二二ないし二五丁)。
しかも、前記一で述べたように、売上自体が減少傾向にあるという経営環境の下にあればなおさらであった。
被告人は、陳腐化した在庫商品を廃棄するに忍びず、また、ダンピング販売は仕入先メーカーから固く禁じられているためこれもできず、かと言って、決算(納税申告)時に在庫商品の評価減を税務当局に要請しても、容易にこれが認容されないという事情にあったため、やむなく本件各犯行に及んだと説明するのであるが(二五ないし二七丁)、これらのことは、いずれも充分理解できるところである。
(二) 原判決は、被告人が本件の動機として、在庫商品の評価減が是認されない事情に基因する面があったとするのに対して、「税務当局が特に不利益に評価減を否認したという証拠もなく、被告人が税務当局に対し、評価減を認容させるべく努力をした形跡も見当らない」として、右の主張を排斥しているが、これは余りにも一般論に過ぎるものであり、また、被告人の税務申告及びこれに対する税務当局の対応と査定の実情を理解しない、皮相な量刑判断であると言わざるを得ない。
その理由を以下に述べる。
(三) 被告人は、昭和五七年度の税務申告に際し、在庫商品の陳腐化を理由に、右在庫商品の評価減を求めたのであるが、これを担当した下関税務署勤務の荒滝誠一は、被告人の右要請を、これといった調査をしないまま排斥しているのである。
すなわち、原審における右荒滝の証言(五三丁ないし五六丁)によれば、同証人は、弁護人の
「一般論として聞きますが、納税者が最終仕入れ原価法を取っていた場合、棚卸しの段階で評価減を認めることはありますか」
との質問に対し、
「ありません」
と答え、弁護人からの
「それはどうしてですか」
との質問に対し、
「法律、基本通達、例えば法人税法三三条二項、施行令六八条等に基づいてやるからです。
ただ、資産が著しく陳腐化したり、会社更正法の適用を受けた場合に例外的に認める場合があります」
と答え、さらに弁護人からの
「著しい陳腐化とはどういうことですか」
との質問に対し
「季節商品が売れ残った場合、過去に仕入れ原価では売れないということで安く売ったというような事実が、客観的に認められる場合に評価減が認められる場合があります」
と答え、次いで弁護人の
「ところで、福本電機商会からの評価減の主張はありましたか」
との質問に対し
「あったと思います」
と答え、弁護人の
「それは認められたのですか」
との質問に対し
「いいえ」
と答え、弁護人の
「どうして認められなかったのですか」
との質問に対し
「過去の実績とか、客観的な資料がなかったからです」
と証言しているのであるが、同証人のいう「過去の実績」とは、一体どのようなことをいうのであろうか。
ここで問題になっているのは、ある会計年度末に在庫している商品の交換価値を、どのように算定、評価するかということである。
二、三年前に仕入値より安く処分したことは、右にいう「過去の実績」には当らないであろうし、別の品種の商品を安く処分した場合もそうであろう。結局、当該年度中に同種の商品を安く処分した(せざるを得なかった)場合が、「過去の実績」に該当する唯一の場合であろうと思われるが、季節外れの品などの、いわゆる「陳腐化」商品を処分する場合には、在庫する陳腐化商品の全部を一括して安く処分するのが通例であろうから、期末には在庫商品として存在しなくなっている。
したがって、荒滝証人がいうところの「過去の実績」は、在庫商品の評価減の根拠ないし尺度にはなり得ないのである。
(四) 次に同証人は「客観的な資料」がなかったから、被告人の評価減の要求を認めなかったというのであるが、本件において、右にいう「客観的資料は、税務調査の時点において、どのような品種、規格、性能の時計が、どれだけ在庫しているのかを調査官自らの目で確かめ、かつ、そのような時計が市場において、果していくらで取引される(可能性がある)のかを調査することにより、容易に入手することができる性質のものである。
しかるに荒滝調査官は、なんらこれらの調査をしないまま、被告人の評価減の要請を却下したのである。
すなわち同人は、前記、原審公判証言に続いて弁護人から
「六、四〇〇万円余り否認していますが、あなたの方は、実際に商品を一点一点見たのですか」
と尋ねられたのに対し
「いいえ」
と答え、さらに弁護人から
「時計が実際にどういう流通過程を通るのか、また、実際の時計の価格はどのくらいかということを調査したことはあるのですか」
と尋ねられたのに対し
「ありません」
と答え、(中略)次いで弁護人から
「六、四〇〇万円否認した商品の具体的な状況はわからないのですか」
と尋ねられたのに対し
「はい、わかりません」
と答え、弁護人から
「下関税務署にいた当時、時計について具体的な製品名を上げて、どの程度の流通価値があるかなど調査をしたことはないのですか」
と尋ねられたのに対し
「はい、ありません」
と答え、次いで弁護人から
「時計の場合、著しい陳腐化とはどのようなことなのか、基準を出して調査をしたのではないのですか」
と尋ねられ
「わかりません」
と答えているのである。
調査もなにもしないまま、「客観的資料」がないからとの理由で、被告人の評価減の要請を却下するというのは、かっての武士の町人に対する切り捨て御免と同じではないのか。これでは、国民(納税者)が納得するはずはないのである。このような調査と論理とにより、税額を決定されるとしたならば、納税者としては、悪いことではあるが、売上除外や棚卸除外などにより自衛手段を講ずる以外に、企業を維持・存続させる方策はないのである。
荒滝証人も、さすがに良心が咎めるところがあったのか、最後に弁護人から
「売れもしない、心情的にも廃棄できないということで社会、経済的に無価値に等しい商品を原価で評価して、損益計算するということは、企業会計としては妥当ではないと考えますが、どうですか、やはり評価減を出して計算するのが妥当ではありませんか」
と尋ねられたのに対し
「そうかも知れません」
と答えていることも参考になると考える。
なお、右荒滝証言について、さらに一言付け加えれば、同証人は最後に裁判官から
「税務署としては、原則として評価減はしないのですか」
と尋ねられたのに対し
「はい」
と答え、さらに裁判官から
「それは公平に行われているのですか」
と尋ねられ
「はい」
と答えているのであるが、必ずしも公平に行われていたのではない。
その証拠に、次に述べるように、同じ被告会社の昭和五九年の税務申告においては、約四〇パーセントにのぼる評価減が認容されている事実(二六丁、三六丁、五一丁)を指摘すれば十分であろう。右荒滝証人が下関税務署に勤務していたのは「昭和五四年から昭和五八年まで」(五三丁)というのであるから、同五九年の被告会社の税務申告は別の税務署員によって調査・査定が行われたものと思われるが、担当官が変わることによって、このような相違が出てくるということは、全体的にみれば、不公平にほかならないのである。
(五) 税務当局は、被告人が、被告会社の昭和五九年一二月期の税務申告において、前記の事情からやむなく計上した、約四〇パーセントに上る在庫商品の評価減を認容しているのであり、このことは、被告会社の在庫商品には不良在庫としか評価できない商品が存在していたことを如実に証明しているのである。
しかるに、原判決は右の諸事実を直視することなく、前記のような揚げ足取りとも言える理由づけしかしていないのである。
しかも、税務当局の、昭和五九年一二月期における右評価減の認容は、実地に商品を見分した上での結論であり、昭和五七年一二月期、同五八年一二月期のそれについては、在庫商品についての実地検証をしなかったため、その評価減の金額を特定し得なかったに過ぎないのである。右両年度においても、昭和五九年一二月期の場合と同じように、在庫商品を実地見分するなどしておれば、同期と同じように、評価減が認容されたであろうことを否定することはできないのである。
単なる課税という行政処分に止まらない、本件のような税法違反の成否、罪責についての判断をするにあたっては、実質課税ということを尊重すべきであると思料するが、これを本件に即して言えば、原判決は、実態をこそ評価すべきであるのに、実態に対する理解を欠いていると言わざるを得ないのである。
三、被告人の本件各犯行の動機には、右に述べた事情から、必然的に生じていた経営危機感が存したのであって、被告人の個人的利欲に基づく犯行ではなかったことは明らかである。
被告人が、従業員多数を擁する被告会社の経営者・事業家として、売上激減・不良在庫増加という事態に直面し、これに対処するため、企業内に余剰資力を保持しようとしたことは(法律違反のこととはいえ)、事業家として、むしろやむを得なかったというべきであり、十分考慮されなければならないことである。
四、検察官は、被告人の原審公判廷における本件の動機に関する主張は、捜査段階におけるそれとの間に矛盾があり、一顧だにする必要のない詭弁であると論難するが、決して矛盾するところはないのであって、曲解しているとしか言いようのない非難である。
被告人は、本件各犯行の動機について、捜査段階においては、企業安定のためや転業資金等の捻出のためと説明し(二六八一丁)、公判においては、在庫商品の適正評価減が認められないことに対する企業防衛のためと説明しているのであるが、両者は矛盾するようなものではなく、要するに、売上高減少という経営環境の下で、事業資金の涸渇という事態を回避し、企業を安定させたいという一念であったことを種々説明しようとしたに過ぎないのである。
このことは、前述の事情からも明らかであり、検察官は、被告人の表現の違いのみをとらえて両者に矛盾ありとされるが、これは被告人の真意を曲解するものである。
五、被告人の本件各犯行は、右のような遠因・近因に基づくものであって、個人的事情、特に、被告人自身の個人的利欲ないし奢侈・贅沢のための犯行ではない。
このことは、後記の犯行態様からも言い得ることであるが、原判決はこの点につき、量刑事情において何ら触れておらず、その判断の前提となる事実の取捨の点において誤りがある。
原審一件記録を精査しても、被告人が本件各犯行によって捻出した不正な利益金を、私に費消したとの事実は認められないのであって、本件の量刑にあたっては、十分に考慮さるべきところである。
原判決は、被告人の動機面での諸事情を顧みることなく、また、現在も継続している被告会社の経営危機を理解しようとせずに、ただ再犯の一事のみをもって処断しているとしか評価できないもので、被告人が被告会社の支柱であることをも併せ考えると、原判決の量刑は、甚だしく重きに失し、破棄を免れないものである。
第二、犯行の態様について
一、原判決は、本件各犯行の態様について「犯行は執行猶予期間中に開始され、ほ脱額はかなり高額であり、手段は売上除外による仮名預金の設定という巧妙なものである。」とし、検察官も同旨の主張をされたところである。
なる程、被告人が再犯に及んだ点は、誠に遺憾なことであるが、本件ほ脱の規模は、後記のように種々の観点から見て、小規模である上、手段・方法においては「巧妙」というにはほど遠く、むしろ「単純かつ幼稚」なものと言うべく、査察を受けるに至れば、一朝にしてその全貌が明らかになるものであったし、本件脱税の中核である売上除外の全容は、経理帳簿、伝票等の客観的証拠がないため、被告人の供述をまたなければ解明できないという特殊事情があったところ、被告人の真摯な反省に基づく積極的な協力によって、その実体が一応明らかとなっている事情を最大限に評価すべきであって、この特殊性に思いを至すことなく、ただ、「悪質」の一語で評価することはできないのである。
二、被告人の本件各犯行の手段・方法は極めて単純かつ幼稚なものである。
被告人が売上高の圧縮をしたのは、主として白色申告をしていた取引先に販売した分についてであるが、このような場合、税務当局から取引内容に不審を抱かれることは当然であり、現に容易に発覚しているのである。
しかも、その除外の態様は、全くの裏取引とするような大胆なものではなく、各取引金額の一部を除外するというものであって、小心翼々というか、良心の呵責に耐えながらの犯行とも言うべく、この上ない程に悪質であるとは、到底言い得ないのである。
さらに、売上除外によって得られた資金は、仮名預金等で留保されたが、もし被告人が、これを私的に着服・費消する気であったならば、そしてまた、被告人に、原判決のいうような巧妙さがあったならば、これらの仮名預金通帳や印鑑を、ひそかに他のところに隠匿したであろうと思われるのに、これらはすべて、会社内の金庫に保管されていたのである(二三六〇丁ないし二三九三丁)。この事実は、前に述べた本件各犯行の動機を裏付けるとともに、悪意のない幼稚さを物語っているのである。
三、本件各年度における売上除外率は、いずれも全売上高の僅か一パーセントにも満たないのであるが、このように不正にかかる部分が稀少な事案であるにもかかわらず、原判決はこの点についての検討を何らせず、適正な判断を欠いているのである。
被告会社の本件各事業年度における売上除外率は次のとおりである(第二分冊、売上調査書)。
昭和五七年一二月期においては
売上高 九四億二、六四七万余円
に対して
除外額 一億 九九三万余円
であって、その売上除外率は
約一パーセント
に過ぎず、
昭和五八年一二月期においては
売上高 五四億八、九六二万余円
に対して
除外額 三、七四〇万余円
であって、その売上除外率は
約〇・六八パーセント
に過ぎず、
さらに、昭和五九年一二月期においては
売上額 三六億二、八三六万余円
に対して
除外額 三、〇一二万余円
であって、その売上除外率は
約〇・八三パーセント
に過ぎないのである。
前に述べたとおり、本件各犯行の動機は、在庫商品の評価減が税務当局によって認容されないところから、これに相応する金額を売上除外することによって、企業防衛を意図したのであるが、右除外の合計は、被告人が在庫商品の約一二パーセントと把握していた商品の金額である約一億七、〇〇〇万円にほぼ対応するのみならず、売上除外率が各年とも約一パーセント未満であって、売上高の約九九パーセントについて申告されていた事実は、通常この種事犯においては、除外率が二〇パーセントを超え、ときには三〇ないし五〇パーセントに及ぶ事犯が少なくないことを考えると、本件各犯行が、むしろ良心的であったことを物語るものであり、果して刑罰を以て臨む必要があったかどうかさえ疑われるのである。このような実態を無視して、単に「悪質かつ重大」などと断定し得るものであろうか。
四、本件各犯行の態様として、さらに考慮さるべき点は、売上除外によって捻出された資金が、すべて社内に保留されている点であり、このことは、まさに、被告人が、本件の動機として説明していることと一致するのである。
本件各犯行に基因する資金は、全く社外に流出していないのであって、斟酌に値する事情である。
また、仮名預金通帳等が、すべて社内の金庫に保管され、査察着手当日に回収されているのであるが、これは、被告人の動機と目的についての説明を如実に表す事実であり、本件各犯行が、決して「悪質」とのみ評価されるべきものでないことを示しているのである。
第三、本件ほ脱事犯の規模等について
一、翻って、本件脱税事犯の規模等についてみると、本件ほ脱所得額の確定にあたっては、売上除外した金額を、被告人の供述により推定しているのであるが、その内容を精査すると、同一機種の時計等につき、関連会社である「福本商事」に対する売値と、他の取引先に対する売値とが同一価格とされているものが散見される(二六一九丁)。
ところで、被告会社は、「福本商事」が、実弟福本光雄の経営にかかる会社であるところから、同商事に対しては、特に値引の処置をして、他の取引先に対する販売価格より一〇パーセントくらい安く販売していたのであるが(二三一四丁、二五四三丁、二五六五丁)、国税及び検察当局は、右値引きの事実を認めず、その値引額を売上除外と誤認して起訴し、原判決もまた、同様の誤認をしている。
例えば、一件記録第八分冊中の被告人作成にかかる、昭和六一年四月一一日付上申書添付の「上様売上除外金額明細表」(昭和五七年一二月期)No5下から一二段目には、昭和五七年三月三〇日に「セイコーエンブレムクォーツYHA-一五〇」五個を、「単価一一、五〇〇円」合計五七、五〇〇円で売った旨公表帳簿に記載されているが、実際には「単価一四、五〇〇円」合計七二、五〇〇円で売ったと推定されるから、その差額一七、〇〇〇円の単価圧縮(売上除外)したとされているが、同右No4下から一四行目をみると、同月二三日、福本商事に対して全く同じ時計を、前記金森商店と同じ「単価一四、五〇〇円」で一〇〇個売ったと推定されるのに、「単価一一、二〇〇円」で売った如く公表し、その差額三三万円の売上除外をしたと推定している。
しかしながら、前記のとおり福本商事には他店と違い、一〇パーセント程度の値引きをしているから、単価一四、五〇〇円で販売したとの推定は誤りであって、これから一〇パーセント差し引いた一三、〇〇〇円くらいの単価で販売したものと認められ、したがって、売上除外額も三三万円ではなく、一八万円程度となる。
右と同様に、同明細表No2上から九段目には、同年二月一二日、金森商店に「ブレスクォーツ三針(角)○~F-九七四」を二〇〇個、「単価一一、六〇〇円」で売ったと推定するとの記載があり、同No4上から一三段目には、同年三月二三日に福本商事に対し、右と同じ品を「単価一一、六〇〇円」で一六〇個売ったと推定するとの記載があるが、これについても、一〇パーセントの値引き分が差し引かれていないので、推定売上合計額一八五万六、〇〇〇円の一〇パーセントである一八万五、〇〇〇円だけ誤って売上除外が多く計上されている。
右はその一例にすぎず、前記明細表を通覧すると、同種ケースが数多く存在しており、三期合計の売上除外金額の誤りは、一、〇〇〇万円を超えるのではないかと思われる。もっとも、被告人及び原審弁護人は、原審において、本件につき当然、執行猶予の恩典に浴しうるものと信じ、そうであれば、細かいことまで争うのもいかがなものかとの判断から、右の事実誤認については、特に争わなかった。
控訴審の弁護を担当することとなった我々弁護人も、右の事情について、決して事実を争うという趣旨ではないが、被告人に有利な情状、酌量して頂きたい一つの情状として、被告人が疑点に固執することなく、推定作業に対処した反省の態度を、是非とも配慮されたいところである。
二、本件ほ脱所得は、すべて社内に留保されていたのであって、このほ脱所得は、本件違反に伴う修正申告による納税に充てられているのであり、税務当局の収税を困難ならしめたとの事情は全くなく、本件修正申告に伴う諸税は、早期にすべて完納されているのである。
繰り返して言うが、被告人が、個人的に蓄財し、贅沢な生活をしたなどの事情は全くないのである。
三、本件のほ脱税額は少なく、ほ脱率は低い。ほ脱税額が五、三〇〇万円余に上っている昭和五七年一二月期でみると、
所得額の申告率は
約八四パーセント
であり、税額におけるほ脱率は
約一六パーセント
というものである。
同様に、昭和五八年一二月期におけるそれは
申告率 約九四パーセント
ほ脱率 約 七パーセント
というものである。
さらに、昭和五九年一二月期においては、右に反して、ほ脱率一〇〇パーセントとなっているが、これは、経営状態の悪化を反映し、利益自体が激減していたのが実情で、ほ脱額にすれば、わずか三五七万余円に過ぎないところなのである。
第四、執行猶予中の犯行について
一、本件に関する各ほ脱額・ほ脱率・前記の売上除外率等を総合すると、本件は、直ちに重大かつ悪質と評価すべき事案ではなく、執行猶予中の犯行ででもなければ、修正申告による課税処分のみですまされる程度の規模の事案である。
そうであるだけに、執行猶予中の犯行であるとの一事をもって、別記した諸事情をすべて捨象してこれを酌量せず、被告人を機械的に実刑処分に付するのは苛酷であると信ずるものである。
検察官は論告において、再犯者である被告人に対する処分としては、実刑しか妥当しないと主張されるが、本件に見られるすべての事情をつぶさに検討するならば、本件は、再度、執行猶予に付して然るべき事案である。
二、被告人が、前刑で、執行猶予の恩典に浴しながら、再度、再犯に及んだ点は弁解の余地がなく、我々弁護人も遺憾に思うところであるが、脱税犯に対する刑罰の感銘力、国民の受け止め方は、なお一般の犯罪におけるそれとは違うのではなかろうか。
しかしながら、この度の原審判決によって実刑に処せられた被告人は、死刑の判決を受けたほどの衝撃を受け、夜も眠れない毎日を送っている実情にある。さらに、先行不安な被告会社の現状に直面していることもあって、絶望に近い心境にあり、親族、友人の励ましによって、やっと精神の安定を保っていると言っても過言ではない。
原審の実刑判決の感銘力たるや、極めて大であった。これが大々的に報道されることによって、被告人とその家族が受けた精神的打撃もまた、甚大なものがあり、さらに取引先や金融機関から厳しい批判と取引中止の制裁を受けているのである。
被告人及び被告会社は、すでに厳しい社会的制裁を受けたのであり、現に受けつつあるのである。この上の受刑が、如何程の意味を持ち得るのかを考えると、すでに刑政の目的は達しているとしか判断できないのである。さらに言えば、一般予防の点のみを重視しなければならない程に、脱税犯は特殊な範ちゅうに属する犯罪とも思われないのである。
第五、企業の危機について(原判決後の事情につき、当審で立証)
一、被告人は、売上の逓減から会社経営に危機感をいだくようになり、これをカバーするため、昭和六一年、カラオケ音響装置の製造を開始し、販路拡大を企図して、株式会社セントラルファイナンス西日本(以下セントラルファイナンスという)及び販売会社大伸音工株式会社(以下大伸音工という)との間で、概略次のような契約を締結するに至った。
即ち、被告会社は、音響装置の製造を一手に引き受け、大伸音工はその販売・メンテナンスにつき責任を持ち、セントラルファイナンスは、顧客(ユーザー)に信用を供与する(代金を立て替える)。
そして大伸音工は、セントラルファイナンスのため、同社の右立替金債権を顧客から毎月回収し、被告会社は、顧客のセントラルファイナンスに対する立替金支払債務を保証するという、結局、被告会社の信用・製造能力と、大伸音工の販売に関するノウハウと、セントラルファイナンスの金融を結合させ、もって三者が利益を得んとしたものである。
二、ところが、セントラルファイナンスの毎月の信用供与額が、当初、約束した額をはなはだしく下回った。その結果、被告会社が信用供与見込に基づき、先行して大伸音工に出荷した商品の代金回収がなされず(現時点では同社が倒産したため、代金回収は事実上不可能である)、一方、大伸音工がセントラルファイナンスのため、顧客から回収した立替金を着服横領して、セントラルファイナンスに送金しないため、セントラルファイナンスから、被告会社に保証債務の履行を請求されている。
現在、大伸音工に対する売掛債権は、約金一二億五、〇〇〇万円、セントラルファイナンスから履行請求されている保証債務は、約七億八、〇〇〇万円である。
三、被告会社は、音響装置の製造に関し、銀行からの借り入れを起こして、相当の資金を投下したが、前記のとおり、代金回収が不可能であるため、その返済は極めて困難である。これに加えて、セントラルファイナンスに対する保証債務の履行に関する紛争が生じている。
このために、被告会社としては、経営上、極めて由々しい状況に立ち至っており、強力かつ有効な手段を講じなければ倒産は必至である。
しかしながら、被告会社としては、右トラブルを解決し、企業を存続させなければならない。とりわけ被告人においては、前記計画を立案・遂行してきた責任者である以上、トラブル解決に全力を尽くすべき責務がある。
右の詳細は、後日、補充趣意書により具体的に明らかにする所存であるが、原判決後に生じた特殊事情として、特に酌量して頂きたいのである。
第六、社内体制の改善(当審で立証)
一、被告人は、前記犯行の動機、方法と資金留保の形態並びに前述の本件各犯行の規模及び被告会社自体が経営危機に瀕している状況等について、原審裁判所の十分なご理解が得られるものと信じ、かつ、被告人の実務上の手腕がなければ業績の回復が望めず、企業の存続は不可能であることについても、適正、妥当な判断を頂けるものと思っていた。
しかし、原審においては、これらの諸事情について理解が得られず、かと言って、被告会社の経営上の危機的状況に変化はなく、むしろ、原判決の結果は、取引関係者に対して、予想以上の悪影響を及ぼし、従前にも増して業績の悪化が顕著になってきているのである。
被告人は、このような事態に直面して、被告会社の経営体制、特に経営責任の所在と経理関係についての体制を改善し、自らは営業活動のみに専念して、被告会社の経営危機を乗り越えようとしているところである。
二、被告人は、本件査察を受けて、二度と税務上の違反をしないと覚悟し、厳格な経理事務処理のなされる体制を敷いて被告会社の業績回復に務めてきたのであるが、原判決の言渡後、経理事務をより一層適正にすべく、これを担保するために、公認会計士を顧問に迎えて、経営診断を含めた総合的な事務運営のための方策を講じるとともに、かって、被告会社の代表者であった実父に代表権を移譲し、自らは一取締役として、営業活動のみに全精力を尽くすこととしたのである。
右の代表権の移譲は、決して名目上のものではなく、被告人は一営業マンに徹し、経理を含む全経営権(金庫の鍵)を実父に委ねたのであって、被告人の自戒と反省は真摯なものであり、再犯のおそれは全くない。
また、経理顧問に就任した合田善男公認会計士は、二〇年余の経験を有し、地元下関市にあって、山口合同ガス株式会社、山電交通株式会社等の一流企業の経営に関与しているほか、山口地方裁判所における会社更生事件等、数々の経済事件に鑑定人等として携った経歴を有するが、同人の企業・財務診断によれば、近時の被告会社の営業・資産状態は、危機という以外になく、瀕死に近い被告会社の再建は、実父の経営管理と被告人の今後の営業力に依る以外にない状態なのである。
被告人の本件違反は、誠に遺憾であるが、被告人に対する厳刑は、高額納税企業であった被告会社の終えんに直結するおそれが極めて大きく、まさに、角を矯めて牛を殺すの弊を招来しかねないのである。
三、検察官は、右の如き事態に十分な理解を示されず、「従業員との面会・文書交換による指示が可能である」などと論述されるが、受刑中の面会・信書発受の制限は厳しく、特に一般人が面会等できないなど、制約されたものであることからすると、日々生起する営業活動上の諸問題に対する迅速、的確な対応など望むべくもないのであって、検察官の右論述は、全く理解しがたい論難と言わざるを得ないのである。
このような皮相な理解に立つことなく、被告会社の実情を直視して頂き、被告人に対する厳刑が及ぼす影響が、極めて深刻であることを理解願いたいのである。
第七、第一審判決後の善行について(当審で立証)
一、被告人は、原判決の結果を厳粛に受け止め、自己の非を悔悟しながら、被告会社の業務に専心してきたのであるが、この際、自己の悔悟・反省の証とするとともに、今後のあるべき姿勢を自覚するため、何らかの贖罪をすべきであるとの心境になったものである。
そこで被告人は、原判決によって、被告会社に科せられた罰金刑の金額と同額の金一、五〇〇万円を自ら出捐し、法律扶助協会下関支部に寄付し、贖罪の方途を取ったのである。
被告人にとって、右金員は多額であり、これを被告会社の事業資金に充てれば、資金難に苦しむ被告会社の窮状を大いに緩和できるのであるが、右窮状は企業人に課せられた宿命としてこれを甘受し、自己の非行に対する改悛の情を素直に表明する方法は、これ以外にないとの心情から、右寄付に及んだのである。
被告人は、余力があって右金員を醵出したのではなく、この被告人の贖罪行為と、これに及んだ被告人の反省、悔悟の心情に特段の配慮を頂きたいのである。
以上、申し述べた諸事情をご賢察賜わり、なにとぞ被告人に対して、再度、執行猶予のご判決を賜わりたく、弁護人一同、伏してお願いする次第である。